50歳からのリスタート

イタリア人夫と去年離婚しました。1人でも大丈夫。心の自立ブログ。

イタリア日記12

勇気ある大好きな皆様へ

 

まだ寝てないし・・。明日はお休みなので夜更かししても大丈夫!

 

 日本での生活が始まる

Aの来日

1年間遠距離恋愛をして、文通とたまにする電話で私達はお互いへの思いを繋ぎました。一生懸命だったので全く不安では無かった。

私はバブルの最後の時期であった恩恵を受けて、有楽町の某企業に就職を決めました。今なら考えられない売り手市場だったと思います。だって美術の専門学校卒の、海外に2年以上遊学していたような状況の私が、何の経験も学歴も無いのにOA事務で正社員になれたのですから。家賃手当てやもろもろ今思うと本当に恵まれた環境でした。

 

社員旅行もサイパンとか忘年会がヨットでとか浮かれていた時代です。今の時代では考えられない!!

 

Aはまず新大久保の日本語学校に通い始めました。学校生活とても楽しそうでした。各国の友達と和気藹々と、私も一緒に学校のお友達と一緒に遊んでいたような思い出があります。

 

語学学校で仕事を始める

元々バイタリティーのあるAです。日本語が少しずつ出来るようになると、収入の無い状態に耐えられず、すぐに仕事を始めました。原宿にある今は無き語学学校が始めての仕事先でした。

 

その当時の生徒Kさんとは、私も家族ぐるみでお付き合いをさせて頂き、第二の母のように慕っています。Aの気性を良い面も悪い面も理解してくれたKさん。

ここからかれこれ20年以上見守って頂く事になりました。いつも心配かけてごめんね。今私はかなり張り切ってるから、きっと喜んで頂けると思います。最後に会ったの時は、私がまだまだ離婚の痛手で弱っていた時だから心配をかけてしまいました。もっと色々と軌道に乗ったらまた会いに行きたい。沢山の良い報告を早くしたい。

 

Aはこの学校を皮切りに、数多くの語学学校を兼任して本当に頑張って稼いでくれました。埼玉の赤羽の近くに引っ越してからは、マンションでも生徒にレッスンをして、学校の収益と合わせて私達の未来は順風満帆に見えました。4年間でかなりの貯金ができる程になりました。

 計画して、実行して、お互い努力して、全ては上手く回っていたような気がします。

そう、あの日までは。

 

阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件

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阪神・淡路大震災

1995年の阪神・淡路大震災・サリン事件。この二つは多くの日本人の心に衝撃を与えました。

私達も生きるとは命とはと考えました。特にAは仕事に追われてストレスもたまっていた所への二つの事件でかなり動揺していました。地震への恐怖感も強く日本に居るのがきつくなってしまったようでした。

 

貯金があった事も私達の背中を押しました。Aは家庭が余り豊かで無かったので、大学に進学したかったけれど出来ず働いていました。

そこでもっと勉強がしたい、大学に入って好きな学問を追及したいと言い出しました。

 

私は、今迄Aが真摯に頑張ってくれたのを見てきたので反対は出来ませんでした。私もまだ若く、イタリアの他の町でより多くの経験をしてみたい。イタリアをもっと見たいという欲求もありました。何より私達はまだ20代半ばと若かった。

 

 そんな訳で私達はイタリアに行く準備を着々と始めたのでした。

 

イタリアで大学を卒業してまた日本に来る、今度は雇われる側ではなくしっかりイタリア語学校を経営してもっと稼ぐ。そして子供も持つと目標を決めたのでした。

 

愛と勇気と希望と共に。

読んでくれてありがとう。