50歳からのリスタート

イタリア人夫と去年離婚しました。1人でも大丈夫。心の自立ブログ。

イタリア日記10

勇気ある大好きな皆様へ

 

今日は娘と出かけて磯丸水産で海鮮丼を食べてサワーを飲んで気持ち良く寝てしまった。そしてまた夜に向けて活動する。

 

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Tさん宅を飛び出す私

 

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ローマ

 オーナー女性との別れ

一度自分の状況に疑問を持ってしまった私は止まらなくなってしまった。最後は喧嘩別れのような状況になり、話し合うどころではなくなり飛びだした。Tさん本当にごめんなさい。ここから私は10年間Tさんと疎遠になる。でもね、Tさん大きな方で私達はまた長い年月をかけて和解できるのです。この時はそんな日が来るとか思えなかったけど。この年末にも帰国した彼女に会えて離婚を報告できた。がっちりハグしてくれて泣いた。

 

日本へ帰国

1年半ぶりに私は日本に帰国した。久しぶりの両親と姉、友人達、何もかも新鮮で嬉しかった。あの頃ネットはまだまだ先に登場する時代だったから、本当に日本語が足りなかった。電話をするのも大変。メールなどない。日本に帰って本を買ったりテレビを見たりするのが心から嬉しかったのを覚えている。それから確か2ヶ月くらい?日本で用事を済ませて、私は帰国する前に約束を取り付けておいた新たな仕事、スペイン階段の横の免税品店で働くために再度イタリアに向かった。良くもまあ親は反対しなかったのかと思う。私はこうと決めたら行動してしまうので止められないと諦めていたのかもしれない。心配だったろうな。

 

イタリアでAと再会

Aは私を迎えいれる為に友人とシェアしていたマンションから引越し、二人で住める所を見つけていてくれた。必死で見つけてくれた愛の住処だったけど、そこは室内は綺麗だったけど、窓のない半地下の部屋だった。窓はないのも辛いけど、洗濯物がどうにもならない。必死で家の中で乾かしてたけど大変だったな。大物はクリーニング屋でまとめて洗って乾かしてくれるサービスを利用した。コインランドリーも無かった。

そして向かいの家に住むカップルがいつも大声で怒鳴りあって喧嘩をしていたのを覚えている。Aと一緒で本当に幸せだったけど生活は大変だった。今でもあの部屋の隅々まで私は覚えている。二人でいれば何でも幸せだったよね。世界に二人ぼっちみたいな気がしていてそれが幸せだった。

 

我慢の限界

でも結局私はその生活に1年も持たずに根をあげた。免税店での仕事は接客業は得意なので大丈夫だったが、海外での暮らし自体に根をあげたのだと思う。Aの事は大好きだったけどローマでの暮らしが辛かった。日本に帰りたかった。こうして書くと私の行動は何と無謀で我慢が足りなくて行き当たりばったりなのかと思う。21~22の娘だから未熟で許されるかもしれないけど。Aは私が帰りたいという思いに途方に暮れていた。日本ならもっと仕事があるよ、私も何でもできるし、Aもイタリア語も教えられるし、イタリアレストランも山ほどあるよ、日本で頑張ろうよ。という私の気持ちを受け入れる方向に話し合いを進めた。

 

遠距離恋愛

ここから私達は健気にも1年間遠距離恋愛をした。二人でそれぞれの国で必死に働きお金を貯めよう。そして日本で二人で生活を始めようと。

 

メールも無いから私達は文通をした。その時の手紙は私の宝物。ずっと大切にしまっていた手紙の束。離婚する時に必死に探したけど出てこなかった。きっと前に進むために消えたのかもしれない。だってあの時の私達はもうどこにもいない。Aの「僕はあなたの前で止まったんだよ。僕はあなたを幸せにする為に生きてるよ。僕の希望はただ一つだよ。」私もそう思っていたよ。

 

あなたに会う為に生まれたと。出あってから10年間は私はそう思って生きていられた。友人に言っていたのを覚えている。「Aに合えて幸せだから私は明日死んでも後悔しない」と。人生の中でそこまで本気で人を愛せたのはきっと幸せなこと。

Aはもてる人だったけど、私は彼を疑う必要など無かった。少なくとも出会ってから10年間はお互いを世界一大切に思い行動できたと思う。

 

愛と勇気と希望と共に。

読んでくれてありがとう。