50歳からのリスタート

イタリア人夫と去年離婚しました。1人でも大丈夫。心の自立ブログ。

3.11が過ぎて

勇気ある大好きな皆様へ

 

昨日は書くエネルギーが無かったけど、よもぎ蒸しして沢山寝てすっきりしたので、出勤前だけど急いで書いてみる。

 

8年前のあの日、私は家に帰ってくる小学生の娘を待ちながら家の掃除をしていた。急にマンションがゆがみだし、見た事がないように揺れだした、玄関の細長い靴の棚が倒れた、本棚の本やいくつかの物が飛び出した。

 

その後子供達に会えるまではパニックで必死だった。数時間後血相を変えた元夫が帰ってきた。

 

そしてそれからは悪夢だった。被災地の方の事を思えば私の事などお話にならないし書くのも憚られるけど。しばらくたち、原発に事故が起こったとの報道で我が家はパニックの極みになった。チェルノブイリを経験しているイタリア人の夫は兎に角家から出るなと言う。私は情報も知識もないまま従う。

 

イタリア人とその家族は飛行機が無料で用意されて国外脱出できる準備ができたと、大使館と連絡が取れた夫が言い出した。

子供達はパスポートが切れていた。私はパスポートセンターで必死で事情を説明し早急に発行してくれるようにかけ合った。通常よりうんと早く発行してくれた。

係の方に「大変ですね~」と人事のように言われたのを覚えている。

 

成田からの便はびびったイタリア人はもうやめたと言う。私たちは電車で大阪に行き、飛行機に飛び込めた。もう私は目の色の変わった夫に怒鳴られ続け、判断力をなくし、泣いてばかりだった。もう世界は終わるのかな。私達は放射能で死ぬのかな。子供達をどうやって守ればいいのかな。飛行機の中で余りに変わってしまった自分の日常を消化できずに、全く頭に入ってこない恋愛映画を見ながら泣いた。

 

イタリアの家族は優しく受け入れてくれた。日本にもう帰れないのかな。日本人は放射能で皆死ぬのかな。私達イタリアで仕事もないのに、子供達イタリア語も全然できないのにどうなるのかな。不安と恐怖しかなかった。

 

あれから8年たったのか・・。また夜に書きます。

 

私達夫婦の関係もあれから確実に変化したと思う。震災が無かったら離婚も無かったかもしれない。でもそれも全て良いも悪いもない。

物事には原因と結果があるのだと思う。全ては色んな学びを導く道の一つ。

 

さあ身支度して仕事に行かなきゃ!昨日覚えたけど難しい仕事、今日はしっかり出来ますように。

 

愛と勇気と希望と共に。

読んでくれてありがとう。