50歳からのリスタート

イタリア人夫と去年離婚しました。1人でも大丈夫。心の自立ブログ。

イタリア日記11

勇気ある大好きな皆様へ

 

Google Analyticsで調べると、見てくださってるページを調べるとトップページが一位で国際結婚&離婚が二位になっている。

一番人気の無かったイタリア日記を読んで下さる方が確実に増えているようです。

嬉しい!

時間と気合がないとイタリア日記は書けないので、身の回りのお買物紹介やジャニーズネタや雑記が忙しい日はメインになると思いますが、ちゃんと書きます!だってそれが一番書きたかった事だから。

※すいません、何故か写真を追加して再送したら記事がエラーになってしまいましたので一旦消してから再送しました。☆を下さった方々消えてしまってごめんなさい。

 

若かった頃の自分の分析

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南イタリア

思春期まっただ中

何を書きたいか考えていて思いついたのですが、私とAの関係性に置いて大きな比重を占めていた事があります。私は高校生の時、皆が通過する受験で大変躓きました。元々記憶力も弱く、真面目にやっても成績が悪く要領も悪かった私ですが、受験のプレッシャー+エリートな父と母(両親共に社会福祉の現場で長年働き、国の制度が色々と変わる節目にヘッドハンティング?されて大学教員になっていました)の大きな期待(何でも良いから勉強しなくてはならない、4年生大学に行かないと人間として欠陥が出る、社会福祉の仕事がマスト)にがんじがらめになり、分かっているけど勉強する気になれませんでした。

 

勉強のできない自分は欠陥品、どうせ生きていてもろくな事にならない、何も出来ない、自信がない・・・。無限・負のループでした。心療内科に行き自立神経失調症と病名を頂き安定剤を飲んでいました。

 

そんな中、何とか自分に少しだけ残された死にそうな気力の中から、物作りが好きなのを思い出し、美術の専門学校に行き手工芸を学び、技術を学ぶというより心のリハビリ期間の様な楽しい2年間を過ごして元気になっていきました。安定剤を飲みつつ、合コンに励み男性にちやほやされる事に喜びを見出し、自分の存在価値をそこに求めるようになっていた気がします。(歪んでいる・・)

 

こんな不完全すぎる19歳のまま20歳になってほやほやの私はイタリアに行ってしまったのです。ああ危険。

 

Aへの依存

イタリアに行き、次々ボーイフレンドを作りちゃらちゃらとデートをしていた私。傍から見ていたら誰とでも寝る女と思われていたと思います。(実際はそこまでじゃなかったんだけど)Aはいざ私と付き合うとなった時に、友人達に本気で反対されたそうです。でもそれを振り切って私を信じて、本当の私の価値を見出して真剣に向き合ってくれました。

だから私にしたら迷走していた所に、やっと現れた救世主でした。世界一優しく、世界一公平で、世界一明るく、何よりもありのままの私を受け入れてくれた人だと。

お金がない事すら、彼の美点に思えました。

昨年久しぶりに会った、私の元オーナーのTさん。私達の長年の結婚がこんな事になり顛末を話していた時に、ぐじぐじと「私はAに救ってもらったから何をされても我慢してしまった」などと話していたら、

 

「それは違うわよ、Aにしても貧しい出身で南イタリアからチャンスを掴みにローマに来て働いていた。そこで日本から来たあなたに出会った。このまま苦労して代わりばえのないイタリアで生活するより、お金持ちの国である日本に行き自己実現をするチャンスを掴みたいと思ったはずよ。」と言って下さいました。

そうかもしれない。お互いに冴えない現状をこの人と一緒なら変えられると思った側面はあるなと思えました。

 

話がそれましたが、こんな不完全すぎる自分でしたので、Aが全ての自分の判断基準になっていったのでした。Aは張り切って子供を育てるように私に手取り足取り付き合ってくれたと思います。だから師匠と弟子のような主従関係が出来上がってしまった。

傍からみたら何でそんなに言う事聞いちゃうの?と思えるような私達の関係性はこんな出だしが原因だったと思います。

 

読書をしていてぞっとした事がありました。

ご紹介した「一緒にいてもひとり」ですが、

www.bkaoruyume.site

読み出してから、すぐのページにこんな事が書いてありました。

www.amazon.co.jp

こちらの本を読んだ著者が驚愕した一文。

アスペルガーの人は外国出身者と結婚すること多いです。

 

私もびっくりしました。そして読み進めるとまたびっくりした文。

最初の数ヶ月、私はアスペルガーの一部である肯定的な面を楽しむことができました。

それは、情熱的な賞賛、魅力的な風貌、人生において分別のある考え方、すばらしい手

紙を書けること、ユーモアとエネルギーレベルの高さです。

 

Aこそ、この本に書いてある人そのものでした。私はそれが数ヶ月ではなかった。10年続いたのです。その中に色んな綻びもあったとは思います。でも私は都合の悪い事は取り合えず見ないようにしようという習性?があるので、打ち消して邁進していきました。だってAの魅力に抗えなかったのです。救世主ですから。

 

Aの家族との出会い

一番最初にAの家族に会ったのはいつだったのか?ちょっと記憶が曖昧です。兄弟姉妹が多く、南イタリアの大家族のAの家族。みんなが本当に優しくて、私を実の子供のように家族のように受け入れてくれて嬉しかった。

だんだん上達していったイタリア語を駆使して、みんなと沢山お喋りをするのが楽しかった。特に義母は聖母マリアみたいで、微笑を称えて控えめで家族の為に尽くす事が天命みたいに生きている人でした。

Aに少しずつ不満が生まれてきてからも、この義母を悲しませる事だけはしたくない。義父や兄弟姉妹との絆を損ねたくないと必死になってしまった面もありました。

 

愛と勇気と希望と共に。

読んでくれてありがとう。